額田大中日子命は応神天皇の皇子もとの鎮座地は今の場所より西南約55メートルの所にあったものを宝亀年間770-780年)に現在地へ移された。 一説によると継体天皇第8皇子・菟皇子を祭神とし、明治初期までは八王子社とも皇子神社ともいわれていた。 古墳の上に建立されていることから、古墳を神格化したことがわかる。縄文中期の石棒と異形石器をご神体としている。 山崎1号墳 山崎公民館付近 山崎2号墳 (山崎神社)継体天皇第8皇子・菟皇子の墓 山崎3号墳 権現塚 継体天皇御陵との伝承あり
寺・神社
山崎神社
Yamazaki Shrine
"During Houki era (770-780), Yamazaki shrine was moved to current point from about 55m aouthwest away. According to one story, It was called ""hachioji"" or ""Oji-jinja"". We can estimate tumulus is woshipped as a god because this shrine was built on tumulus. The object of worship enshrined here is a sekibou and a stone tool in starange shape."