享保2年(1723)に淀藩の淀藩の領主となった稲葉家10万石の藩領として、市内には当時の川原村・北興戸村・南興戸村・草内村・高木村・天王村があった。 これらの領内からの年貢米を収める倉庫のことを郷倉とよび、この付近に建てられていた。年貢米を一度に城内へ搬入しないで、現地に保管しておくところであった。 このあたりの地名は領主稲葉家の名が残り「稲葉」という。
古墳・遺跡・石碑・跡
郷倉跡
郷倉跡
享保2年(1723)に淀藩の淀藩の領主となった稲葉家10万石の藩領として、市内には当時の川原村・北興戸村・南興戸村・草内村・高木村・天王村があった。 これらの領内からの年貢米を収める倉庫のことを郷倉とよび、この付近に建てられていた。年貢米を一度に城内へ搬入しないで、現地に保管しておくところであった。 このあたりの地名は領主稲葉家の名が残り「稲葉」という。