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寺・神社

両讃寺

正式名称は發迎山 二尊院 両讃寺(はっこうざん にそんいん りょうさんじ)という。 宗派は浄土宗。 その昔「大住家友」という領主が近くの城山に住しており、この大住の地にあった阿弥陀堂の阿弥陀如来と釈迦堂の釈迦如来を篤く信仰していた。 その後、戦国時代の兵火により、阿弥陀堂・釈迦堂共に跡絶えつつあった中、「橋本甚太夫」・「刀根源太夫」という郷士が、お堂を建て、阿弥陀堂・釈迦堂の仏様をお祀りする。 江戸時代に入り、建長年間に「願故上人」を住持としておむかえし、發迎山 両讃寺と号するに至ったのがこの寺の始まりである。 古来より大住に伝わってきた旧阿弥陀堂の弥陀三尊・旧釈迦堂の釈迦三尊の両方を現在でもお祀りしている。 両讃寺の名前の由来は「弥陀如来、釈迦如来、両方を讃嘆供養する寺」という意である。 大住はその昔、奈良興福寺領であったことから、一つの信仰地であったと言われており、その名残りを残す多くの仏様を本堂にてお祀りしている。 月読神社の神宮寺であった宝生山養福寺(宝生流能の発祥とされる)の本尊薬師如来(秘仏)、四天王も両讃寺にて奉安している。 全国の国分寺には薬師如来を本尊とする例が多いといわれるように、現在のような病気平癒の信仰以前は、薬師如来は国家護持の役割を担っていたといわれる。その中でも代表的な神護寺の薬師如来と共通点の多い作りである。そのことから大住一帯を護持する仏様であったと言われている。 境内の十一面観音石仏は「妊娠中の婦人が信仰すると美男子・美女、いずれも賢い子が生まれる」と遠方よりの参拝者もあったと伝承されている。 なお、近くのバス停「八小路」は両山寺の山号である「發迎山」が由来である。 参拝、法要、祈願等、御朱印のお参りの際には事前にご予約ください。

所在地

京田辺市大住八河原9

アクセス

バス停 八小路より徒歩2分または、JR大住駅より徒歩20分

電話

0774-62-3137

ホームページ

http://ryousanji.com/

両讃寺

正式名称は發迎山 二尊院 両讃寺(はっこうざん にそんいん りょうさんじ)という。 宗派は浄土宗。 その昔「大住家友」という領主が近くの城山に住しており、この大住の地にあった阿弥陀堂の阿弥陀如来と釈迦堂の釈迦如来を篤く信仰していた。 その後、戦国時代の兵火により、阿弥陀堂・釈迦堂共に跡絶えつつあった中、「橋本甚太夫」・「刀根源太夫」という郷士が、お堂を建て、阿弥陀堂・釈迦堂の仏様をお祀りする。 江戸時代に入り、建長年間に「願故上人」を住持としておむかえし、發迎山 両讃寺と号するに至ったのがこの寺の始まりである。 古来より大住に伝わってきた旧阿弥陀堂の弥陀三尊・旧釈迦堂の釈迦三尊の両方を現在でもお祀りしている。 両讃寺の名前の由来は「弥陀如来、釈迦如来、両方を讃嘆供養する寺」という意である。 大住はその昔、奈良興福寺領であったことから、一つの信仰地であったと言われており、その名残りを残す多くの仏様を本堂にてお祀りしている。 月読神社の神宮寺であった宝生山養福寺(宝生流能の発祥とされる)の本尊薬師如来(秘仏)、四天王も両讃寺にて奉安している。 全国の国分寺には薬師如来を本尊とする例が多いといわれるように、現在のような病気平癒の信仰以前は、薬師如来は国家護持の役割を担っていたといわれる。その中でも代表的な神護寺の薬師如来と共通点の多い作りである。そのことから大住一帯を護持する仏様であったと言われている。 境内の十一面観音石仏は「妊娠中の婦人が信仰すると美男子・美女、いずれも賢い子が生まれる」と遠方よりの参拝者もあったと伝承されている。 なお、近くのバス停「八小路」は両山寺の山号である「發迎山」が由来である。 参拝、法要、祈願等、御朱印のお参りの際には事前にご予約ください。

Location

京田辺市大住八河原9

Access

バス停 八小路より徒歩2分または、JR大住駅より徒歩20分

Phone

0774-62-3137

Website

http://ryousanji.com/

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