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古墳・遺跡・石碑・跡

藤林普山の碑

碑隠 昭和三年春 京都 三宅安兵衛遺志建之 寛政8年(1796)に16歳で京都に出て医学を学んだ。こののち稲村三伯の「波留麻和解」を入手して蘭学の研究を志し、これを携えて郷里に帰り、10年の歳月を費やして独学で翻訳に努力した。 普山は医者であったが、その本領はむしろ欄書の翻訳にあり、とりわけ文法書や辞書に力を注ぎ、当時の蘭学界に大いに貢献した。特に文化7年(1810)に出版された「和蘭語法界」「西医今日方」「西医方選」などを著した。そして天保7年(1836)に56歳をもって没した。

所在地

京都府京田辺市水取御家

Mr.Fujibayashi Monument

碑隠 昭和三年春 京都 三宅安兵衛遺志建之 寛政8年(1796)に16歳で京都に出て医学を学んだ。こののち稲村三伯の「波留麻和解」を入手して蘭学の研究を志し、これを携えて郷里に帰り、10年の歳月を費やして独学で翻訳に努力した。 普山は医者であったが、その本領はむしろ欄書の翻訳にあり、とりわけ文法書や辞書に力を注ぎ、当時の蘭学界に大いに貢献した。特に文化7年(1810)に出版された「和蘭語法界」「西医今日方」「西医方選」などを著した。そして天保7年(1836)に56歳をもって没した。

Location

京都府京田辺市水取御家

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