この地は欽明天皇の御代、わが国に来朝した百済国人爾利久牟(にりくむ)王の住居したところといわれる。この人は鉄工の業を伝えた人で朝廷より多々羅の姓を下賜された。当社はその子孫のものが祖神と仰ぐ百済国余璋王を祭神として祀った氏神社(うじがみしゃ)であって、当時帰化人がこの地に多く住んでいたことが察せられる。いまは素盞鳴命を祭神としているが、朱智神社との関係であろうか、式外社ではあるが由緒はすこぶる古い。今はもとの鎮座地をあきらかにしないが、一説に多々羅田中山にあり、一に田中山宮と称した。現在は朱智神社の境外末社となっている。
寺・神社
新宮社
Shingu Shrine
"This place is said to be dwelled by the Nikurimu King, a man from Kudara(Today’s southwest of Korea) who visited to Japan in the reign of the Kinmei Emperor(AD 539-571). This shrine worshiped the King of Kudara, looked up by the descendant, as the deity. Probably many naturalized people lived in this place at that time. Today Susano no Mikoto is worshiped. It has a glorious history."