碑隠 昭和三年春 京都三宅安兵衛依遺志建之 この碑は、昭和3(1928)年京都に住む篤志家により建立されたものである。 多々羅には百済からの帰化人たちが豪族の奴理能美(ぬりのみ)を中心に住み、養蚕と絹生産を営んでいた。 「古事記」の仁徳天皇の条によると、仁徳天皇の皇后・磐之媛(いわのひめ)が、この地に住む奴理能美の邸宅を宮室として居住され、“一度は這う虫になり、一度は殻になり、一度は飛ぶ鳥になって、三色に変わる”という珍しい虫(蚕)を見たとの記述がある。 この物語を根拠として、外国から蚕が持ち込まれ初めて飼われたのが、筒城の地であり、それは古代から商業が栄えていた多々羅であると考えられている。
古墳・遺跡・石碑・跡
日本最初外国蚕飼育旧跡
The silkworm Monument
"This monument was built by 'Tokushika', living in Kyoto, in 3rd year of Syowa era (1928). Returners from Kudara lived in Tatara. They worked the silk-raising industry and made silk. Tsutsuki is the first place where foreign silkworms brought up, because Tatara was a flourishing center of commercial activity."