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寺・神社

月読神社

月読尊(つきよみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)を祀る延喜式内社で、大社に位置づけられていた。中世にはたびたび兵乱、兵火を受けて、社殿の焼失と再興を繰り返した歴史があり、鎌倉時代初めに、源頼朝から神馬の献上があったとも伝えられ、明治維新の折には、鳥羽伏見の戦いを避けるため、石清水八幡宮が一時遷座され、ご神宝が薬師堂に安置された。現在の本殿は、東に面する一間社春日造、銅板葺(もとは桧皮葺:ひわだぶき)の建物である。明治26年(1893年)に名古屋の伊藤平左衛門により設計された。本殿を囲む瑞垣の正面に、鳥居を配置する珍しい構造が見られる。この春日造は奈良の春日大社本殿の形式で、この様式は、奈良を中心に京都府南部、大阪府、和歌山県北部などに広く分布する。本神社が位置する大住地域の多くは、平安時代末期から室町時代末ごろまで奈良興福寺の荘園であった。神宮寺として、宝生山福養寺が明治の初めごろまで存在し、奥ノ坊、新坊、中ノ坊、西ノ坊、北ノ坊、東ノ坊の六坊が備わっていたが、すべて廃寺となっている。往事の社域は、大住小学校の北側あたりに北ノ坊の旧跡が調査で確認されており、かなり広大な社であったことがうかがえる。 毎年10月14日の宵宮には大住隼人舞(市指定文化財)が奉納される。

所在地

京都府京田辺市大住池平31

アクセス

アクセス 近鉄「新田辺」駅から京阪宇治交通バス「八小路」下車徒歩5分

Tsukiyomi Shrine

"Although it is not clear when this shrine was first built, it is listed as a grand shrine in the Engishiki Jinmyouchou (a catalogue of all the shrines in Japan), compiled in the 5th year of Engi era (905). The deity enshrined here is the Shinto moon god, but shrine records also list the two gods believed to have given birth to the Japanese archipelago and its many deities, Izanagi and Izanami. The present building was built in the 26th year of Meiji (1893). Every year on the 14th of October, the Oosumi Hayatomai (a traditional folk dance that is a designated cultural asset of the city) is preformed as an offering to the gods."

Location

京都府京田辺市大住池平31

Access

"5 minutes on foot from ""Hakkouji"" bus stop

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