モデルコース

京田辺豪華三大名寺巡り

名称

京田辺豪華三大名寺巡り

距離

9.72

時間

4時間

言わずと知れた京田辺の3大名所「酬恩庵一休寺」、「大御堂観音寺」、「寿宝寺」を巡る贅沢なコース。 3つとも拝観すれば、あなたももう京田辺通。

モデルコース スタート!
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酬恩庵一休寺

とんちの一休さんのお寺として知られている酬恩庵(通称、一休寺)は、もとは妙勝寺といい、大応国師によって正応年中(1288-1293)に禅の道場として草創されたのが始まりである。その後、元弘の戦火にかかり荒廃していたものを六代の法孫にあたる一休禅師が康生2(1456)年に再興し、師恩に報いる意味で「酬恩庵(しゅうおんあん)」と命名された。禅師は88歳で自寂されるまでの晩年、ここを居とされた。  現在みられる本堂は、室町幕府6代将軍足利義教により建立され、方丈や庫裏、唐門、東司、鐘楼、浴室は加賀藩主前田利常により復興されている(いずれも重要文化財)。 四季それぞれに風情があるが、秋の紅葉の時期は格別の趣がある。本堂 京都最古の唐様建築 足利義教(室町幕府第6代将軍)の帰依により、1400年代に建立された。 内部に釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている、室町時代の代表的な禅宗建築で重要文化財に指定されている。建築は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)三間、屋根は入母屋造(いりもやづくり)の桧皮葺(ひわだぶき)で、山城・大和(京都・奈良)地方で最も古い唐様式(禅宗様)である(一間約1.82メートル) 軒は二重、垂木は扇のように放射状に並ぶ。円形の柱の両端には粽(ちまき)が付けられ、柱頂に台輪(だいわ)、柱下に礎盤(そばん)がある。柱間装置は、正面中央は桟唐戸(さんからと)、左右に花頭窓(かとうまど)が設けられ、その上に立湧欄間(たてわきらんま)を入れている。 このように、本堂を構成する各部分は細かく装飾的で、唐様独特の特徴が見られる。また、仏壇上の如意頭文飾は、通常の渦文だけでなく蕨手様の模様が刻まれている非常に珍しいものである。

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大御堂観音寺

天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。その後、聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、十一面観音立像を安置したといわれている。 法相・三論・華厳の三宗を兼ね、七堂伽藍は壮麗を極めて「筒城の大寺」と呼ばれた大寺院であったと伝えられている。 幾度となく火災に見舞われ、永享9(1437)年の火事では、諸堂13、僧坊20余りを数えた建物のほとんどが失われ、大御堂だけが再建され現在に至っている。 現在は、本堂と庭園が周囲の里山に調和し、美しい姿を見せており、春には参道の桜並木や一面に広がる菜の花が、秋には紅葉がひときわ目を引く。十一面観音立像 天平仏(奈良時代中期)を代表する仏像で、昭和28年国宝指定。天平16(744)年良弁僧正(ろうべんしょうじょう)開基時の仏像。 一木式木心乾漆造(いちぼくしきもくしんかんしつづくり)、漆箔(しっぱく)(下地の上に漆を塗り金箔で表面を加工)仕上げ。 立像は度重なる修理によって形を変えていた部分もあったが、昭和期の高度な補修技術により現状の姿に整えられた。本体では、頭上面中の七面、右耳朶(じだ)、両手の指(右第五指を除く)、本体以外では天衣や持物などが後補されたもの。当初の蓮肉と敷茄子をそのまま使用し、そこに蓮弁と反花(かえりばな)、八稜形の框(かまち)を付け足した六重の蓮華座に、静かに安置されている。 像高:172.7センチメートル 重量:66.0キログラム。度重なる火災により、現存しているのは本堂、庫裡、鎮守(ちんじゅ)の地祇(ちぎ)神社だけである。本堂は昭和28(1953)年3月に再建された。単層で入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんかわらぶき)で南に面している。境内の西方、丘陵上には塔ノ跡と称されるところがあり、奈良時代末期から平安初期頃の作となる布目瓦(ぬのめがわら)が散在している。またその中央には大きな石が置かれているが、おそらく付近一帯に建てられていた堂塔の礎石の一部だと思われる。本堂の前には松香石(しょうこうせき)製の層塔残闕(ざんけつ)があり、様式からすると平安後期の作であるという。

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寿宝寺

慶雲元(704)年、文武天皇の時代に創建されたと伝えられる。古くは「山本の大寺」と称せられ、七堂伽藍の備わった大きな寺であったが、度重なる木津川の氾濫により、享保17(1732)年、現在の小高い地に移転。明治維新に際し近隣の寺々を合併し、現在に至る。平成9(1997)年には平成の大造営を行い、206年ぶりの改築となった。重要文化財である十一面千手千眼観音立像を有する。 この寺の東側、今は桜と紅葉の公園になっているが、以前は鶴沢の池があった。昔は鶴の飛来があったともいわれ、また、近くの飯岡山と共に、仲秋の名月の名所でもあった。十一面千手千眼観音立像 像高180センチメートル、一木造り。平安時代後期に作られたもので、藤原時代中期の様式をそなえた端正典雅な立像。衣紋や面相の表現が藤原時代の特色を示している。左右20の大脇手の前に、小脇手が扇状に配されている。目・眉・ひげに墨、口に朱が塗られる以外は檜の白木で造られており、清浄を喜ぶ神の御心にかなった仏として、神仏習合の先駆的な役割を担ったと考えられる。大きく造った四十手には、日輪、月輪、鏡、矢、雲、骨、剣など40の物を持つ。その他は掌を広げたように何層にも重なっており、すべての掌に眼が描かれ、千手千眼観音を表している。中央には六本の手があり、二本は中央で合掌、二本は中央下で定印して宝鉢をのせ、残りの二本は右手に錫杖、左手に戟を持っている。柳谷(乙訓郡)の観音と同木といわれ、これに因んで眼病平癒祈願に霊験があるといわれる。この十一面千手千眼観音立像は、大阪河内の「藤井寺」と奈良「唐招提寺」の観音と共に、実際に千本の手を持つ観音として三大傑作のひとつである。

ゴール!

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